男!!井上先生
昭和62年卒 友尾孝司
思い起せば8年前,余りにも成績が悪かった私は,4回生の特別実習の研究室選択に困惑していたところ,井上先生の第一物理化学教室に拾ってもらいました。同期の特研生は,決して成績が良いとは言えない(むしろ私と同様悪かった)男6人が集まりました。最初の特研生の集合の折りに,普通なら出来の悪い私達を前にして嘆きの一言でも出そうですが,井上先生は微笑みながら,「まあ,一年間頑張ってや,頼みまっせ。」と励まして下さいました。井上先生に対しては,それまで余り印象が無かった(というより授業に出ていないから余り知らなかったと言った方が正しいかも?)のですが,その時初めて「この井上先生はいったいどんな人なんだろうと何か非常に強く引き付けられるものを感じました。
その後,コンパの席では水を飲むかのごとくビールを一気に飲み干す先生の姿を見,特研旅行では様々な人生語や,幅広く奥の深い趣味の話しを側聞きするうちに,「特研の先生」というより「男,井上先生」として大きな魅力を感じるようになりました。「この先生の研究室の一員であるかぎりはええ加減なことはできん」と,特研生一同気を引き締め研究に励んだことが思い出されます。私個人としては,大学院に進学し,吏に多くの御苦労を先生にお掛けしました。研究に行き詰まり,先生に愚痴の一つでも言った時に返されるほんの一言に大変勇気づけられることも屡でした。
今後も井上先生にはくれぐれも御健康にだけは留意され,井上門下(というより井上一家と言った方が相応しいかも知れません)の主人として,我々若輩に末長く良き御指導賜りたく存じます。
平成3年(1991)とある集まりにて
昭和61年(1986)特研旅行・鳥羽 ラッコが爆発的ブームでした。
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