回想井上教授

昭和60年卒 段下昌哉

 1993年11月6日出AM11時10分,昼寝をしていたらTELがかかってきた。TELに出てみると『大阪薬科大学の土井と申します。』と言う。寝ぼけていたこともあって一瞬誰だかわからなかった。懐かしい声の後にもう一人続いた。尹さんだ。
 あの時代に少し引き戻された様な気がした。女性の方に“君”付けで呼ばれるのは久しぶりであるからだ。お二人の話によると,井上先生が今年度で退官されるという。そのお知らせを送ったが,転勤したことを大学に知らせていなかったため,連絡がつかなかったと言う。一筆書こうと思ったが,あまりに急な話しなので思い出すのに久しぶりに卒業アルバムを見ることにした。そこには懐かしい顔がずらりと勢揃いしていた。先のTELで少しタイムスリップしたような気分だったが,これで一気に9年前に戻された。
 少し前置きが長くなってしまったが,我々の卒業アルバムでは皆それぞれの普段の口癖が写真のところに一人一人書かれている。井上先生の所を見ると,『お茶ちょっと一杯』と害いてある。この卒業アルバムの写真(物理化学教室の写真)は確か自分で撮った記憶があるが,文字は誰が考えたのか実によくできている。
 この『お茶ちょっと一杯』というのは,教授室で篭もる様に仕事をされチョット一息の時のこの口癖が我々の記憶に一番残っていたからだろう。さらに,私にとって井上先生は特研の教授であると共にアドヴァイザ一でもあり,入学して初めて挨拶したときは顔は怖そう(今思うとベートーヴェンを想像する)だが,声が思ったより軽い(高い)という印象だった。物理化学教室に入ったのもアドヴァイザーでもあり人柄もよく分かっていたからで,最初から他の研究室は考えてもいなかった。大学での4年間の中で特研時代が一番楽しかったというのも,特研の選択を誤らなかったという証拠であり,井上先生に感謝し,又これから並々のご健勝をお祈りする次第です。


昭和60年(1985)特研発表打ち上げ


昭和61年伊藤さん(当時助手)送別会にて

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