右手をサッと上げて
昭和59年卒 尹康子
特講生(研究室に所属せず,そのかわりに4科目履修しなければならない学生のことをこう呼んでいた。)であった私が物理化学教室の副手として採用していただいたのは丁度10年前のこと。当時薬品物理化学教室が第1,第2とわかれて間もない頃でおまけに石田先生はドイツに留学されており,私の机も第1研究室の方にありましたので自分は井上先生の副手とばかり恩っていました。それが2週間位後の拡大教授会での新人職員の自己紹介の時に初めて,自分は第2物理化学教室の石田先生の副手であるということがわかりました。もちろん井上先生には2回生の時に物理化学Iを教えていただきましたのでお顔の方はよく覚えていましたが講義の方はと言いますと,先生には申し訳ありませんが’物理’と名のつくものは大の苦手でしたので内容はほとんど理解できず,ただ黒板の板書をひたすら写しているだけの90分であった様な気がします。それが2年後に特別研究生でなかった私が副手になり,しかもこんなに長い間お世話になろうとは夢にも恩っていませんでした。
私が副手になった頃の井上先生は体調があまりすぐれず,それでも石田先生がドイツに留学されていましたので,薬を片手に顔を真っ赤にしながら物理化学Iと実習の講義金てをこなされ,随分ご無理をされていたように記憶しています。時がたつのは早いものでそれから10年,来年3月の御退任を目の前にいまではすっかり元気になられ,あの頃よりもずっと若返られた様な気がいたします。
つい先頃,井上先生が20年余りもの間着手してこられたグリセロリン酸カルシウムの構造化学的研究の一環として,長い間眠っていた結晶学的データを取り出してきて石田先生共々再度解析にチャレンジし,やっとの思いでその結晶措造をみることが出来ました。井上先生が在職中にグリセロリン酸カルシウムの解析に成功し,それに携わることが出来ましたことは私にとっても忘れ難い思い出であり,大変有難いことであると恩って感謝しています。
最後になりましたが,井上先生長い間本当に御苦労様でした。また本当に有難うございました。御退任後も無理せずいつまでもお元気でいらして下さい。そして時々は研究室の方に顔を出して今までと同じ様に色々と御指導して頂きたく恩います。物理化学教室一同,少し頭を傾け右手をサッと上げて廊下を足早に歩いて来られる井上先生の御多を,いつも心待ちにいたしております。
昭和58年(1983)特研旅行・白山スーパー林道
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