まかした!

昭和56年卒 土井光暢

 卒業してあっというまに10年がたちましたが,私は大阪薬科大学卒業後,大学院を経て井上先生の第1物理化学教室で職員としてご厄介になってまいりました。当時は炎の石田寿昌講師が鬼の様に研究に取り組んでおられ,研究(のお手伝い)に明け暮れた我々特別研究生にとっては,C2H5OHに関する超強力な印象が井上先生の思い出として残っております。ほとんどの卒業生の方は井上先生と研究とがイメージ的に結び付かないと思いますが,先生とご一緒に仕事をさせていただいて,私には色々と教訓になる思い出があります。卒業生の皆様がよくご存じのとおり本学には「長屋のキャデラック」と称される装置が存在します。これはX線を発生させて小さな一粒の結晶に照射し,反射光を測定しますが,最終的には分子の構造を決定するのに用いるものです。製薬会社のコマーシャル(ファイトー発ではない)やNHKスペシャルで,酵素が基質と結合したり,ねじり棒の様な姿をしたDNAのクラフィックスをよく見かけますが,まさしくこの姿形を測定する装置です。この超ハイテク機器の購入の際によく聞きましたのが『研究はバクチや』または『バクチ打たにゃ』でありました。私は先生の数々の勝負を知る由もありませんが,近年においては高い勝率を誇っていたように思います。もちろん,多くの人をひきつける人望と強運があっての上のことだろうと思います。それから,『負ける勝負はしない』というのもありました。
 また,御退任にあたって,井上先生の様なバランス感覚のあるBig(またはAbout)な先生が,この大阪薬科大学にもう少し長くおられることができればとつくづく恩います。よく井上先生は『まかした!』を連発されます。これは,一見「めんどくさいことはしたくない」というふうに思えます(本当にそうかも),が,先生の場合,まかせた限りまかせたことをどう処理しても文句は無いという意味も含まれています(と私は思います)。これは,我々下々の者が色々なことを代行する際,実にスピーディーに物事が進み,任された者の大きな自信と経験となります。現在,大阪薬科大学は18歳人口の激減,厚生省指導の薬学教育の改訂,大学の自己点検・評価の時代に遭遇し,しかも高槻移転を目前にして大きな局面に達していることは誰の目からも明らかです。要するに,リストラが要求されているのですが,改革の方向は多くの先生方の色々なしがらみの中で狭い視野に限られているように思えます。井上先生は2年前に65歳で定年となられ,現在嘱託いう形で大学におられますが,『年寄りが何にもガチャガチャ言わんでええ』ということで,嘱託と同時に,残される私はどうなるのかいざ知らず,人事に関する権限をあっさり放棄されております。大阪薬科大学ともにこられた43年間という時代のなかで,一切のしがらみをスパッと切り捨てて『まかした!』を言える先生が本学にとっていかに大きな財産であったことかと思います。
 最近,井上先生は陶芸・工芸にたいへんこっておられますが,卒業生への作品の供給を期待するとともに,退任後も益々お元気でおられるようお祈り申し上げます。先生,長い間ご苦労さまでした。


昭和56年(1982)卒業式
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