特研旅行の思い出

昭和50年卒 三木紳一郎

 特研時代の一番の思い出は,特研生全員で「X線解析による…の一考察」を毎日徹夜でまとめたことです。と言いたいところですが,(井上先生には申し訳なく思っておりますが,)そういう事実はなく,今も鮮明に記憶に残っているのは,特研旅行での珍道中です。
 それでは約20年前の記憶を紐解いてみますと,(昭和49年秋のこと)
 特研生で旅行をすることになり,みんなでプランを練っているところに,井上先生から,串本に魚釣りに行こうとのご提案があって,不和雷同すぐさまこれに決定しました。しかしながら,本格的な魚釣りの経験なんぞだれもありません。まして釣り道具など用意することは不可能です。この旅行ブランも雲行きが怪しくなってきましたが,井上先生の「おれが全員の道具を用意する。」の一言で最終決走。いざ出発。旧国鉄で天王寺から中本へ行き,そこから巡行船で大島に渡り,小さな渡船に乗り換えて,広さ20畳ぐらいの磯に上がりました。
 天気は晴朗,波静か。波は太平洋とは思えないほど穏やかで,水平線まで見通せるほど良い天気でした。約束どおり,井上先生が釣り道具一式(竿,クーラー,糸,針,その他諸々)全員分用意してくださいました。(先生の友達数人から借りていただいた道具?)
 井上先生から魚釣りの簡単な手解きを受けて,素人集団の魚釣りは始まりました。魚の種類は,何であったか覚えていませんが,30−40センチの赤い鯛のような魚をはじめ,結構釣れていました。
 ところが,ところがである。いままで鏡のように静かであった海が。何の前触れもなく私達が上がっている磯に大きなうねりが押し寄せたのである。みんなは磯の上に逸早くかけ登ったので無事でしたが,(借りていただいている)竿,クーラーなどがどんどん流されているではないですか。みんなはタモ(魚をすくう網)で流れだした道具を引き止めるのに必死になっていましたが,一人だけ,タモで缶ビールをすくっている方がいらっしやいました。私も,ジャンパーを流してしまいましたが,御陰でビールを飲むことができました。…このあと,椿温泉で一泊しましたが,これもまた珍道中でした。おもしろい話がたくさんありますが,とりあえずここまでに。

 井上先生,大変お世話になりました。とっても良い思い出ありがとうございました。これからも,お元気で御活躍されることをお祈りいたします。

昭和50年物理化学卒業生一同



昭和54年(1980) 特研生は1人となり絶滅寸前となる


翌年,昭和55年(1980)にはめでたく勢力を盛り返したとのことです。井上先生のご子息が写っておられます。(堀田(宮本)洋子女史提供)

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