井上先生との思い出

昭和46年卒 田中庸裕

 私と井上先生との出会いは,先生に陸上部の顧問をお願いしたことから始まったように思います。
 その経過につきまして,私事ではございますが,私がS42年大学へ入学した時,入学案内に陸上部が載っていたので入部しようとしたところ,その時,既に陸上部は,部員不足から自然消滅していました。それで,私は,時々,大学のグランドで一人練習していた時に,同じ和歌山県出身の松井君が仲間に入ってくれ,二人で練習するようになりました。そうして数カ月経ったある目,当時の体育局長の村岡さんに誘われて針中野駅の屋台で酒を飲みながら,陸上部を正式に部として認めるかわりに二回生から体育局の副局長を引き受けてくれないかとの誘いがあり,松井君に相談して部は松井君にお願いしてお引き受けすることになりました。
 二回生になり,幸い陸上部も新一回生が入り,小人数でも部として活動できるようになってきたので,顧問の先生が必要となり,当時の官道学長を初め,多くの人に相談して非上先生にお願いすることになり結果的に先生に快くお引き受け頂きました。その時の先生の条件は「コンパは出るが,グランドには出ない」という条件であったように記憶しています。その条件は,卒業するまで守られましたが,関西薬連の大会等には,必ず出席下さいました。
 井上先生は,顧問といっても,宴会顧問で,昼の顧問は,先にご逝去された小澤先生でした。小澤先生は,部活も機動にのりかけた頃,先生の方からフィールド部門(先生は,若い時,和弓と砲丸をなさっていたJを面倒見てやると申し出て頂き,色々と,ご指導を頂きました。
 井上先生との思い出は,先生のご親友であった故森坂先生と一緒に,理由をつけては,お酒を飲んだ思い出ばかりで,阿部野橋の陸橋から「立ちション」をしたり,難波の路上に寝そべったり,両先生の自宅に遊びに行ったり楽しい想い出が沢山あります。
 私が卒論に物理化学教室を選んだのは,言うまでもないことですが,テーマは「X線回折分析について」だったと思いますが,中味については全然記憶にございません。(全て,井上先生と石田先生のおかげです。ありがとうございました。)
 最後に,先生,楽しい学生生活をありがとうございました。お酒を余り飲みすぎて「オンス」にならないよういつまでもお元気で!
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