陸上部復活への一言

昭和46年卒 松井孝夫

 井上先生の想い出を綴るとすれば,本来は物理化学教室での事を記るすべきでしょうが,私にとっては他の忘れ難い大きな印象が残っています。昭和42年,大学生になれば陸上部へ入部しガンバルゾ!!と意気揚々と入学式に臨みました。しかし,当日のクラブの勧誘は陸上部以外の体育系ばかり,「陸上部はないのですか?」「今はない」との切ない返事。ラグビー部に一時籍を置き,陰で陸上部復活への道を探りはじめました。幸いなことに同期に同郷の田中庸裕君(長距離競技で活躍)が居り,1回生ながら二人でなんとかしようとしているところへ,当時4回生の柳さん(前・陸上部マネージャー)がいらっしやる事を耳にし,相談に伺いました。「復活は井上先生に相談する事が大切である」とご一緒していただき,「よし解かった。教授会に諮って承認を取り付ける。しかし,すぐには無理だ。今夏の関薬連に出場し,やる気をみせる」との一言。成績は残念ながら最下位と記憶しておりますが2回生,3回生となるに従って部員も増え成績もあがり,現在も立派に活動していると聞いております。私自身,陸上部復活に際し訳のわからぬまま部長になり,3年間その大役を努めさせていただきましたが,先生のその一言が後々強烈な印象として残り,やり遂げることができたと考えております。このような経緯があり,井上先生の物理化学教室にも在籍していましたが,残念ながらよい成果を残すことはできませんでした。しかし,学生時代の4年間そして社会人として23年間,色々な苦難に遭遇してきましたが,その時には「自分がやる気を見せて行動すれば必ず道は開ける」との信念のもとに行動しております。
 私にとって,大阪薬科大学での4年間は陸上競技一筋との感は否めませんが,全く悔いはありません。
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