カエルの子はカエル

昭和41年卒 谷口(林)由紀子

 私は1962年から1966年の4年間,大学生活を充実したものにするため衛生裁判化学クラブに籍をおき色々な経験をさせて頂きました。
 講義と講義の間に空き時間があるとき,又授業終了後,暇があればすぐクラブ教室に行き同級生や下級生と談笑するのが楽しみでした。活発な松本教授と物静かな井上助教授が顧問でいらしたので二人の先生の指導を受けながら数々の研究をさせて頂きました。例えば文化祭で発表する課題の1つとして大和川の汚染状態を調査しました。毎日,黒塗りの学校の公用車に乗せて頂いてポリタンクに大和川の水を入れて持ち帰り,すぐに分析しppm値をグラフに表わし,当時でも大変汚れているのに驚きました。又牛乳の中の脂肪分の割合を調べるため(濃いか薄いか)遠心分離器にかけたり,清涼飲料水の添加物を知るためなど,うす暗い教室で外が暗くなるのも忘れて実験していました。談笑しながらの研究は楽しいことばかりでした。又,大気汚染調査,騒音調査などのお手伝いで電車の中,天王寺駅,デパートの中,田園地区など各地に出かけた覚えがあります。
 でもその中で特に身近にかつ強く印象づけられたのは,井上先生の食品添加物の講義でした。私達はもちろんのこと人間の体をむしばむものは次世代にも伝えていかなくてはならないことだと思い知らされたものでした。食品から少量ずつでも添加物が体内に入り蓄積されていった場合,どのような変化がおこるのか問題になりかけ始めていた時代でした。
 そのような不安感が心の奥深くに少しでも残っていたのでしょうか〔子供をつれてスーパーで食品の買い物をするたびに,色が赤すぎるからとか緑色が濃いすぎるからやめましょうねと口ぐせのように言っておりました。添加物の出来るだけ少ないものを選んで買っていましたので,長女も小学校高学年になると興味を示し出し,理科の自由研究で「着色料の検出」という題で数多くの食品(おかし,つけもの,ジュースなど)を買って合成か天然か区別する実験を毛糸に染めて判別しそれをまとめて発表致しました。学校ではそれを大きな紙に書き直して下ざって小学校の代表として地区大会にも出させて頂き,娘にとりましても大きな思い出となりました。その長女は今薬科大学2年生となりました。カエルの子はカエルかしらと!
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