「亡き子をしのぶ歌」
昭和34年卒 岡崎椒子
私が大阪薬大に入学しましたのが,昭和30年4月ですから,もう40年近くも前のことであり,その頃の記憶は断片的にしか残っていない状態ですが,うっすらと残っている記憶を辿って,思い出すままに書かせていただきたいと恩います。
井上先生と言いますと,先生がまだ助手の頃「薄暗い無機化学の実験室で,故森坂先生や田中千秋先生と一緒にお話をされていた」のを,まず思い出します。
私は,それまで女子ばかりの学校で過ごしてきましたので,男子のいる学校そのものが珍しく,何にでも驚いたり,感心したりしていた頃のことですが,3人とも汚れたポロポロの白衣を着ておられ,そのポロポロが半端ではなかったので,すごいなあ!と印象に強く残っています。
また,私には私が入学する年の3月に卒業した兄がおり,私が知らない助手の方でも,私を知っておられたりして,損をした思い出もあります。
私は,その頃卓球部に属していて,実習中も抜け出しては下手なピンポンをしておりましたが,ある時,練習試合で実習を中途からさぼったことがあります。翌日,井上先生に「昨日顔を見なかったなあ!さぼったやろ」とばれて欠席にされました。一緒に行った仲間は,ばれなかったのに…とくやしがったのを覚えています。
卒業後,私は3年間,井上先生が専任講師をされていた衛生化学教室に副手として残り,前川助教授の仕事のお手伝いをしていたのですが,お昼休みや放課後には井上先生達と一緒にお茶を飲んだり,クラッシック音楽について,色々教えていただいたり楽しく過ごさせていただき,退職の際には,マーラー作曲「亡き子をしのぶ歌」のレコードをいただき,若き日のいい思い出となっております。
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