想いでの記

昭和33年卒 益野(花木)治子

 先づ何よりも御健勝で御退官日を迎えられました専心よりお慶び申し上げます。私が学校に副手として奉職ざせていただきましたのは昭和33年4月から一ケ年のみでしたので振り返ってみますとほんの一瞬の出来事のようでございます。その頃の先生は勿論お若くてとてもスマートでいらっしやいました。35年間もの年輪を重ねられ一まわりも二まわりも大きくなられましたのが現在の先生です。
 先生は難しい学問ばかりでなく多くの趣味をもたれ大変な博識家でいらっしやいました。特にクラッシック音楽は勿論のことジャズ,タンゴ,ハワイアンetc。音楽に対する御造詣の深さは他に追従を許されない程です。アルゼンチンタンゴが大好きだった私は先生に,いろいろと名曲を教えていただき話に花を咲かせていただいたものでした。
 野球に関しでもそうでした。当時日本シリーズで西鉄対巨人戦で,西鉄が先う三勝し,その後巨人が四勝して優勝したという大変な年でした。現在ジャイアンツの長嶋監督が現役二年目位で大変な人気選手だったのを記憶しております。その試合を研究の合間に校門前の食堂(現在は無いそうです)でよく先生と観戦いたしました。研究が手につかない位の人気でした。
 考えてみますと先生とは勉強のお話しをあまりした記憶がございません。誠に恥ずかしい限りですが,遊びの事とか食べ物のお話しとかファッションのお話しとか,どちらかといえば趣味のお話しの方が多かったと記憶致しております。当時の日本では珍しいファッション雑誌『ヴォーグ」をよく先生にいただきましたのも懐かしい思い出です。女性週刊誌『女性自身』が初めて倉創刊されたのもこの年だったと思います。
 三十五年の歳月が遠く流れ去って一抹の淋しさを感じますと共に新しい平成の時代を生きているのだという感慨も湧いて参ります。大正,昭和,平成と生き抜いて来られた先生,益々お元気で第二の幸福な時間をより多く楽しんでいただけますよう心からお祈り申し上げます。研究室でお世話になりました一年間,多くの事を学ぶことが出来ました。先生,たくさんの倖せをありがとうございました。
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