古い古い思い出

昭和29年卒 谷口走之

 井上先生,43年の長きにわたって教鞭をとられ又ご研究に専念され本当にお疲れさまでした。
 思えば昭和26年(1915),私達が入学した頃には,井上先生も京大から助手として就任されて早々の頃ではなかったかと思います。
 思い返せば故赤澤教室で夜遅くまで硫酸チタンの合成に頑張っておられました。又当時は蒸留水も自給自足で,カメレオンを入れた水に直接裸のニクロム線を入れて蒸留する独創的な装置を考案されたり,当時,助手の先生方の中でも,瘻せてガリガリ(写真で拝見する今の先生は恰幅,貫禄のある)だけれど,頭の切れる先生として定評がありました。
 一方先生にはよくお酒を飲みに連れて行って貰いました。先生,森坂先生,宮島さん,そして私もお供してジャンジャン横丁へ行っては大の肉?の串カツ,それも小麦粉と炭酸でまるまると,かさばかり大きくしたもので,これを酒のアテに二級酒,焼酎,ドブロクを飲みながらキャベツをつまみ,時にはオヤジの目を盗んでカウンターの下に串を落としたり,チョッピリ悪戯をしたこともありました。ゲルピンの時はアルコールを水で割るだけのミズソルビンスキー,茶だけで割ったチャイコフスキー等を実験のあとで飲ませて頂いたこともありました。リンゴ酒の密造酒も時にはふるまわれ,これは豪勢なアペタイザーになったこともありました。
 ミズソルビンスキーと云えば今もそうらしいですが,先生はクラッシック音楽,シャンソンに凝って居られ,お給料の殆とがLPレコードとお酒に費されていたようです。いいレコードが入ったからと言って,お宅までお邪魔して,秘蔵のヒレ酒を頂きながらレコード鑑賞をさせて頂いたこともありました。
 実は井上先生には親子2代でお世話になり,守澤(谷口)優子,そして主人の守澤和也は陸上部の顧問をして頂いていたそうで格別お世話になっていたと娘夫婦が申して居りました。親子共々本当に有難うございました。先生,ご退官後も益々ご壮健でお過ごし下さい。
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