井上正敏教授のご退職にあたって


 井上正敏先生は平成4年3月末をもって定年を迎えられ,同年4月よりは嘱託教授として本学に勤務されておりましたが,このたび定めにより,大阪薬科大学を退職されることになりました。先生が本学を去られることは,大学にとってもまた日頃から親しくして頂いた私にとっても惜しまれます。しかし考え方によっては,昭和から平成に至る大薬の時代を,先生が今日まで元気に活躍されたことはおめでたいことであり,ここに心からお慶び申し上げる次第です。
 井上先生は大阪薬科大学が大学として発足した昭和25年4月に,助手として赴任されてから,その人生の殆どすべてを本学の発展の為に捧げられました。そして今日に至るまで40有余年にわたり,第1回卒業生より本年度卒業生に至るまで,無機化学,衛生化学,物理化学等,薬学の研究教育を通しで多くの有為な人材を育成され,世に送り出されました。また学内では,教務部長,研究委員長,その他学生部,就職部,RI運営等の各種委員会の委員,また法人大阪薬科大学の評議員としでテ大学の管理運営にも尽力されました。井上先生は,大阪薬科大学を初めから見守ってこられた本学最後の教員になります。
 先生が着任された昭和25年は,日本はまだマッカーサーの指揮のもとアメリカ軍の占領下にありました。単独講和か,全面講和かと国論を二分して国内が荒れ,吉田首相が米国との単独講和を推進していた頃で,朝鮮戦争が勃発した年でもあります。薬学の教育機関もまだ少なく,関西には京都大学薬学科のほか,本学と京都薬科大学,神戸女子薬科大学だけで,薬科大学もまだ少ない頃でした。
 先生は学生の入学定員が120人で,教育研究の施設設備も整わず,図書館や学生会館,体育館もなく,学生に十分対応していない頃から学生と苦労をともにされましたので,本学を愛し,学生を親身になって大事にしてきました。先生は昔から本格的なオーディオマニアで,電気や機械の知識に詳しく,良い音を求めてラジオの受信装置の組み立てに凝ったり,また音楽の趣味も高尚で学生たちから慕われる人間的な魅力の持ち主でした。先生が学間的にも学生達に常に自分で考え,自分で発表する自信を持たせる教育をされたことに深い敬意を表します。

 終わりに,先生が益々ご健康で,ご活躍されますようお祈りいたしますとともに,今後とも私どもにご指導ご助言を賜わりますようお願い申し上げます。


大阪薬科大学学長 久保田晴寿
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